生きることとか死ぬこととか

今日はセンチメンタルですよ。

昼過ぎに、友人からfacebookでメッセージが届いて、僕と同い年の友人が亡くなったと聞かされた。

友達というにはそんなに深い仲でもなくて、知り合いというにはもう少し親近感あって、ライブでよく会ったり最近はネットでお互い近況知ってる程度だったりして、でもまあ同い年て事もあって友達申請遠慮したりする事もないし、気軽にメンション飛ばしたりするような感じだった。つい先日も今年のガンダムは面白そうだぜなんて言ってたのにな。あいつ、新しいガンダム観れたのかな。

身の回りで人が亡くなってしまうこと自体は、自然の摂理だの何だのを差し置いて珍しい事でもないし、ばあちゃんも、後輩の男の子も、清志郎も、いなくなってしまった。僕も、子供たちも、両親もいつかはいなくなってしまう。子供たちに先立たれたら考えられないくらい辛いだろうけど。考えたくもないけど。でもね、なんというか、同い年の男が、体調的なことで亡くなってしまうというのはたまらなく怖いですよ。なんだこれ。心がフワフワして拠り所なく浮かんでる。ついこないだまで普通に今度のイベントのことツイートしてたのにな。急だなぁ。


誰の身にも死は必ずやってくるし、それは避けられないことなんだけど、結構手のかかるところまでそれは来てたんだなあと思っていろんなことを考える。徹夜で仕事なんてしてる場合じゃないんだよ。どこに潜んでるかはその時までわからなくて、それは本当にすぐそこなのかもしれない。

自分が生きているということは、なんだか本当にありがたいことだと思うし、それはやっぱり家に帰って子供たちが散らかした部屋とか奥様が作ってくれるご飯とか、自分の両親から心配そうに届くメールとか、そういうの全部があるからなんだよなといつも思っている。自分という人間は卑屈でひねくれて驚くほどつまらないことでいつもつまずいているんだけど、それでもいつも朝目覚めて生きていこうと出来るのは家族がいてくれるからで、なんとなくそんなことを最近考えてたりしたところだったので、なんというか、うまく言葉にできずに気持ちが漂っているような気分。結婚とか子育てとかが完全に素晴らしいものだとも思わないけれど、少なくとも僕の人生においては自分の家族がいるということは生きる光明であるとは思う。


前にあいつにあったのはいつだったかな。多分2,3年会ってないんじゃないかと思って、彼に会えないこと自体が寂しいとか辛いとかではなくて、なんかたまにふと思い出したり、写真に写ってるの見かけたときに、色んなこと思い出したりするんだろうな。BBQした時も、フジロック出会った時も、だいたいいつもサッカーのユニフォーム着てたよななんて思い出したりするんだ。死者はそうだ、ずっと死んでるし、ずっと死んだままだ。なんだそれ。音楽が好きで、自分でイベント企画したりして、「面白いことやりたい」って言う人はたくさんいるけどそれを本当に労を厭わず端からやってるような人で、そういうところすごく尊敬してたな。彼を介して色んな人に会ったし、色んな話を聞いたなー。


僕は何を残すんだろうか。いや、誰かに何を思われるかとかはどうでもいいんだろうな。少なくとも奥様と子供たちが僕のこと覚えててくれたらそれで十分なんだろうな。そんなこと思ってこうして日々ブログなんて書いたりしてるんだと今思い出す。ほんとに。あとはやっぱり、生きたいように、今日が人生最後の日だとしても後悔しないように、真摯に、誠実に生きなきゃいけないよね。僕自身も、そして周りの全ての人に対しても。


とりあえずは、身体を大事にしよう。会いたい人には会いに行こう。言いたいことは言って、感謝の気持ちを忘れず、誠実に生きよう。そしてあいつがやってたように、自分が面白いと思うことに真剣に生きよう。昼間に感じたもやもやは、ほんの少し晴れた気もするので、最後きちんと見送りに行こうと思います。ありがとうね。