アイディアに価値はない、のか

ちょっと前に出てた記事で気になっていて、なんとなくもやもやするので自分なりの文章を書いておく。

>>アイディアに価値はない

半分は同意で、半分は「そんなことあるかいな、アホか」と思っている。それは多分今の自分に納得してる部分と不満がある部分があるからなのかと思うのだけど。

Webのシステムやサービスを作っている会社のCEOの発言なので、実際にサービスを世に出すとか「本当に重要なのは、Exucutionだ」なんて書いてしまうその気持ちもわかる。やること、なんだよなあ。あれこれいうのではなく、実行して、終わらせて、形にする。そこについて特に異論もないし、自分の中で暖めてあるアイデアは暖まってるだけでいくつもとどまったままだったり、奥様に「こんなんオモロいと思えへん?」と普段話していることなんていくらでもあるんだけど、それは結局中にとどまっているだけでどこにも行かない。僕が仕事帰りに事故にあって死んでしまったら、それがどんなにエポックメイキングなアイデアだったとしても(心配しなくてもそんなレベルのアイデアは僕の中には留まっていないし生まれてくる予定もない)無に帰してしまう。ザッカーバーグの言うように「Done is better than paerfect.」なのだ。やらなきゃ意味がない。

でも、本当にそうなのかな、とも思う。なんだろう、やること、そのものを否定するのではなくて、「アイデアに価値はない」ってのが違うんじゃないかなあ、と。そう思うのです。


僕のやってる仕事は主にアイデアを出すことで、それは時代を変えるような力強く話題性があって誰しもの記憶に残るようなそんなアイデアを生み出している訳ではないけれど、資料請求を増やすにはどうすればいいかとかサプリメントの売り上げを上げたいとか自分のお店を世に知ってもらうにはどうすればいいかとか、そんなことも結局アイデアをひねり出して小さなところから改善して、Webにできることは何かと考えながらかれこれ9年もWebの世界に身を置いてるのです。だから、価値はないと言われると、いやー、そうでもないんだよなーと思うのです。

特に、ディレクターという職種は端から見ると何をしてるのかよくわからんというのが多いんだと思うけれど、全体の中ではやっぱり必要なポジションじゃないかなーと思うのですよ。


これは別に職業だからということではなくて、例えば晩ご飯にしても、「今日はカツ丼食べたいなー」って一言がアイデアで、実際に買い物に行って調理をして食べて片付けもするからすばらしいのだから、やっぱり「カツ丼食べたいなー」「そうやなー」だけではどうにもならん。もちろんExecution(実行)は大事だ。店にいくのか、家で作るのか、いやお昼トンカツだったから親子丼にしようと代替案を提示するのか、その辺はいろいろだけど、やっぱり食べないと話にならん。でもね、晩ご飯のメニューを提示するとかこないだのカレーはおいしかったけどトマトを入れたらもっとおいしくなるんじゃないかとか、やっぱりそういうアイデアは絶対的に必要。

僕は自分では料理はできないし(最低限死なない程度くらいにはできるけど)、料理できる人に最大限敬意を払う。買い物にも行くし食器の片付けもかなり積極的にやる。洗い物はすきなのだ。なんていうかそういうことじゃないかなあ、と思う。Facebookにリンクをシェアしてみたら、Executionの側であるプログラマの男のこが「アイデアの方がすごい」みたいなことを書いてて、なんというかそういう気持ちだよなあ、と。自分が接する人にちゃんと経緯を持って自分にないものを持ってる人と、チームを組んで動けるならそれがいちばんいいのかなあなんて。


だからどうだと言われても困るけど。まあとにかく、考えて、動かして動いて、いろいろやりたいことが山盛り。まだまだいろいろ楽しいことはいっぱいあるなあと思ってる36の春。