子供と愛知トリエンナーレに行ってきた

磐田からの帰り道、名古屋によってトリエンナーレを見に行ってきた。子供用のワークショップもあったりするのでたまにはこんなんもと思って。翌日のリニア館が主目的とはいえ、せっかくなので早めに名古屋へ向かって見た。トリエンナーレやってるのに気づいたのはたまたま行きしなの近鉄の中でぼーっとネット見てて気づいたのだけど面白そうかなと。

科学館のプラネタリウム電力館も子供の広場みたいなやつも月曜休みでどうしたものかと思ってたところ、行けそうなところで予報37度を逃れられそうなのは水族館かトリエンナーレ。水族館はそれなりに楽しめそうだけど(いるかショーとかシャチのショーもあるしね)、トリエンナーレインスタレーションとか多かったのと「キッズトリエンナーレ」っていう子供用のやつもあったので。

内容は、知らないアーティストの人が多かったのだけど映像や音、立体から写真まで、僕自身も楽しめたし、子供達も「これって何?どうなってるの?」とそれなりに楽しんでた様子。娘さんは絵を描くのが好きだけど、大人の人が描くいろんなものが飾られてて、こんな事やってもいいんだというのを見せてあげたいなーとは思ってる。もちろん、机に色塗ってたりされても困るわけだけど。それに絵描きになって欲しいとは思ってなくて、何でも好きな事を好きと言ってくれたらいいかなあと。

自分なりに感じた事を口にして、大人とは違った視点で楽しんでたみたい。それでいいよなあ。キッズトリエンナーレは、事前申し込みのワークショップは間に合わなかったけど、自由に参加できるやつで楽しんでたり、館内を回る時のお助けツールみたいのがあって首から段ボール下げて、セロハンのフィルムがついた色眼鏡で作品をみてみよう、という、まさにいろんな見方や楽しみ方を提示してくれるキットだった。


作品の前でいろんなフィルムを試してみたり、見方や考え方をお父ちゃんと話し合ったり、触らないように最低限の事だけ気をつけながら一緒に見て回ってた。幾つかの会場があったのだけど全部は流石に時間もなくて、メインの美術館だけでもそれなりに広さがあるので炎天下の子連れにはちょうどいいくらい。


作品の事でいうと、東日本大震災福島第一原発を題材にしたものが多く、それがアートの題材になるんだなあと思ったけれど、いや、ものを作るとか表現するとかの人がそこをスルーしてキレイなものを作ろうというのは違うんだろうな。トリエンナーレのテーマは「揺れる大地」、サブテーマは「われわれはどこに立っているのか」。結局、3.11以降僕らの立ち位置なんてのはその辺りのテーマとは切り離せないのかと改めて考える。気仙沼の写真が並んでいるシリーズは、畠山美由紀の「我が美しき故郷よ」を聞いた後ではずっしりと響いてくる。思い言葉がオーバーラップしてくる。Googleストリートビューで見る更地の海岸線、あまちゃんのドラマの世界は7ヶ月後に震災を控えてて、なんだかそういう色々が重なってくる。

ゲージツには何が出来るのか。連作の写真、がれきの山と津波の爪跡で「ヴェネツィアみたい」と書かれていた気仙沼の景色の中で、辺りが破壊し尽くされていて「心が美しいものを求めている」と言葉が添えられていた。歌や、ゲージツや、人の言葉や、そういうものが、やっぱり僕らには必要なんだろうか。大阪からはやっぱり遠いんだけど、それはたまたま福島や三陸だったということで、日本に住んでる以上はどこでも震源地になりうるんだもんな。奈良で震度7誤報の件も、決して間違いじゃない可能性はあったわけで。


なんかそんなことを色々考えて、感じたことを改めて夜にホテルで奥様と話し合う。10日間帰省してた間離れていて、そういう日常の事を話し合う事が全然なかったのがやっぱりつまらなかったなあと思ったりしてね。何のために働いて何のために生きてるか、そんな事を色々思いました。

トリエンナーレ、なかなか刺激的でした。子連れでも楽しめるのでぜひ。