「今日、幼稚園で何があった?」という質問のこと

今日見かけたブログの記事。この人のブログはいろんなところで目にするなー。

息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。


ん、色々?

私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。

これは結構衝撃だったなー。

実際に娘と話してて「幼稚園どう?」とか「幼稚園で何した?」と聞いても曖昧な返事が多くて、でも「お遊戯会の練習、どんな曲やってるの?」「メロディオンとお歌唄うの、どっちが好き?」と聞いてみるとけっこういろんなこと考えてるんだなーと思わされるような答えが返ってくる。そりゃそうだ、リンク先のブログにも書いてるけど仕事から帰って「今日は仕事どうだった?」って聞かれても、経緯とか人間関係とか(誰々さんというデザイナの話しをするには、そのデザイナのパーソナリティから話さなきゃいけないのでそれなりにめんどくさい)も含めて考えるとやっぱり「そんなにいろいろ聞かないでよ」になるよね。うむ。

と言いつつも毎晩帰ってごはん食べる時には「今日の子どもたちはどうだった?」とバックリとした質問をしてるし、何か特筆すべきトピックがあったのか、というのは大人の間では通じるからまあいいんだろう。でも、「子供にもちゃんと理解できて答えやすい質問」ってのは、大人の間でもビジネスでも多分とっても大事なんだろうな。相手が答えやすい質問を用意して、自分が欲しい答えをちゃんともらえるように質問すること。それは自分語りではなくヒアリングの能力で、ディレクターしてたら常に問われてるところだなーと思う。実際にヒアリングの能力が低いとその後の手間も時間もかかる。むむ。


多分なんでもそうなんだろうなあ。「大きくなったら何になりたい?」なんて聞かれても、職業とか大人のイメージとか、そういうもの自体がすごく断片的なものだろうし、働いてみてわかる「実生活で接することの出来る職業なんてほんの一握り」ってことももちろん子供は分からない。「ケーキ屋さんになりたい?」「お絵描きの勉強してみたい?」みたいな質問を用意して上げるとか、世の中にはもっといろんな選択肢があるんだよということを親が提示してやらなきゃいけないんだろうな。「そんなもの、子供が勝手に見つけて選べばいい」というのも正論。ただ、選択肢がある、考え方がある、ということは常に教えてやるべきなんだろうな。