子供が生まれて得られたもの、を読んでぐっと来たのでのっかってみる

はてぶで流れてきたブログの記事がツボだったので乗っかって書いてみようと思う。なくしたもの、というか距離を置いたものは多分いっぱいあるんだけどそれはそれで人生だよなと受け入れるようにしてるし、飲み歩いたりライブ行ったり好きな本買ったり気まぐれに旅したり、まあ人それぞれいろんな生き方があるしそれぞれだと思ってるけど僕は僕で充実してるからそれでいいやと思ってる。
「子どもが生まれて得られたもの」について、改めて考えてみる。: 不倒城

子供が生まれて得られたもの。

  • 仕事に対しての意識の違い、責任感の強さ
  • 子供の視線や体験を通してもう一度人生を楽しんでいること
  • 余りにも自分に似てる娘を見ていろいろ反省
  • ああ、これが萌えか、といういくつもの瞬間
  • 我慢強さ(これでもかなりのものなのだ)
  • 季節やイベント、行事ごとを楽しむ気持ち
  • 日本人であることや日本という国についての右寄りで保守的で愛国心のかけらのような気持ち、または誇り
  • 社会的な責任感。子供達の子供達の子供達に
  • 無邪気とか無条件にとか手放しに必要とされる自己肯定感

やっぱり今振り返っても娘の出産に立ち会いした事は筆舌に尽くし難いというか、人生で1番印象的なイベントだったし、自分がかつて両親に求めていたような無条件に愛される事を彼らも与えてくれるしまた求めてもくるわけで、もちろんそれはいつかもっと微妙な気持ちに変わったり、うるせえあっち行けよ、みたいな言葉に変わったりするんだろうけど、まあ親の思う通りの健全安全な好青年になって欲しいかというとそうでもないからそれはそれでいいけどね。

結婚という形にこだわらないカップルや子供は別にいらないやという夫婦、欲しいけどなかなか、な人もいろいろいるしそれはその状況やなんやかやあるとはいえ人それぞれだしそれをどうこうは思わないけれど、少なくとも僕にとってはいいタイミングで子供を授かって違った生き方ができるようになったなと思います。


仕事の中ではまだまだあれなところもあるけれど、それでも前職やそれ以前の事を思うと本当にまともに仕事するようになったなと思うしその責任感というか背水の陣みたいな感じは今日も明日も数年後も子供の事を守っていかなきゃいけないと思うからで、そんな重たいものを抱えてやって行けてるのも古い友人が同じくらいのタイミングで子供こさえて、子供同士が同級生で、これかの人生もあいつらと同じタイミングで一喜一憂して(子供の運動会の話とか何ができるようになったとかこの数年ずいぶん楽しい)同じような悩み抱えてやっているから心強いんだろうな。


昨日も夜中に息子が生まれた前後の頃の写真を眺めてていろんな事思い出してしんみりしたりちょっと泣いたりしてた。ああそうだ、よく泣くようになったな。ずいぶん涙もろい。なんていうか、存在意義というか生きがいというか、独身の友達がこないだ「生きがいってなんだろう」ってつぶやいてたけど、そこは結構「認められる事」なんてのが大きいとおもうし、仕事だったり家庭だったり人それぞれなんだけど、承認される事や求められる事ってのはやはり心地がいいし、自分が必要としてる人から必要とされる事というのはとても心地良く重たい。どっしりとのしかかるリアルな重さで、でも同時にやってくる心地よさもまた気持ちが良い。
無駄に長文になってしまったけど、そんなことを何となく考えております。深夜の仕事も一段落。年度末っぽくなってきた。