ジョブズが亡くなったと嘘みたいなニュースがTLに流れてきて、ああ、もうその時がきたのかとがっかりしたけどそんなに落ち込んでない。あれだけ痩せた姿をみていたから、今はやっとガンとの戦いが終わって落ち着いて楽になったんだろうなとか思ってる。冥福をお祈りします。
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Appleのサポートセンターで一年働いていたので、ジョブズ皇帝の末端の先っちょの別働隊みたいなところにいれた事はとても楽しい出来事だった。外部委託先への派遣だからもう全然関係ないようなもんだけどさ。いやはや。そんな事とか感傷的になったり思い出語ったりとかは別になくて、淡々と56歳で亡くなるというその一点についてだけ考えていた。ま、いた、っつっても仕事してるからバク然と思っただけで今考えながら書いている。考えるために書いている。

清志郎も58で行ってしまったよ。僕はまだ34で、僕の祖父母は示し合わせた様に80を越えてから向こうに行ってしまって、僕の両親は60辺りで幸い今のところは健在。でもまあこの先どうなるのかなんてやっぱり誰にもわからない。だからこそ毎日をちゃんと生きなきゃなあなんて思うけど実践する事は難しい。エントリーシート書いても直ぐに落とされる。
56歳で亡くなってしまう事は「早すぎる死」なんだろうか。ジョブズ清志郎だけとってみたらなんだか普通の事みたいだ。

父親のいとこや、友達の肉親、近所の友達のおばちゃん、ガンや事故やで平均寿命より早く亡くなってしまう人はたくさんいるけれど、56歳で人生に別れを告げる事なんてもう珍しくもなんともない事なんだろうな。あと、22年。自分の時間としてはそれをフルに使えれば結構楽しめそうな気もするけれど、さて、僕自身の問題はもう僕は僕だけのものじゃないからそんな事を冷静に考える。仕事中、ジョブズよりもその事で悲しい気持ちになる。そりゃそうだ、モニターの向こうで黒いとっくり着て「ブーン!」とか言ってるおっさんと目の前にいる自分の子供とどちらがセンチメンタルになるのかなんて考えるまでもない。ジョブズのことはとても好きだし、諸々のアップル製品にはとても感謝してる。でも僕はそれらを使いこなして金を稼いで生きていかなきゃならない。そうだ、我が家の生活はMacBook ProMighty Mouseによって生み出されてるんだぜ。キーボードは黒鍵盤のAppleキーボードだ。

僕が56なら娘は26歳。奥さんはその歳には娘を身籠っていたからあわよくば孫に会えるかもしれない。孫?いや、それはいいや、今のところ。僕が母に孫の顔を見せてやれたのは56の歳だったな、奇遇というかなんというか。でもまあそんな歳だ。大きくなって娘が家を出ていくとか、今は妄想でしかないけれどさみしいよりも嬉しいほうが強いよなあ。いつまでも居座られるより、さっさと出て行って幸せになってくれたらいいなと今から考えてるよ。26、母ちゃんが着てたドレスのサイズを合わせて着る時がその時までにくるだろうか。大学を出て、働き出して、辞めて、家でネットしたり漫画読んだりしてるんだろうか。んー、よくわからんなあ。

息子は22とか23か。おとなしく4年で大学出てるとも思わないからまだ学生だとかワーホリで海外行ってるとかなんかそんな事かなあ。23かぁ。自分の事を重ねてみると恥ずかしいくらい子供だったな。思い返したくもないw そんなタイミングで父をなくしてしまうわけだ。そりゃキツイよね。

奥様はその頃どうしてるだろうか。子供が大きくなって、何か楽しい仕事を見つけてワクワクしながら暮らしてるだろうか。もうちょっとで定年だねーとか言いながら、子供達の学費やなんやに追われる生活の先が見えてきて、海外に遊びに行こうぜ、とか言ってたりするのかなあ、月並みだけど。

母ちゃんは82歳とかなら多分まだ生きてるだろうな。ずっと元気でいて欲しいけど、流石に先に行ってしまうのは気が引けるな。んー、すまんなー。


なんてそんな事を考える。家族からの声明で、私たちのプライバシーを尊重してくださいとあったけどそりゃまあそうだよな。うん。そりゃそうだ。
誰のところにも死は必ずやってくるし、時価総額世界一位の会社のCEOですら、財力を傾けてガンに勝利する事は難しい。何年か乗り切って今日の日を迎えていたとしても、ジョブズ自身がその事、ガンとの戦いを放棄するわけではなく、全力で勝ち抜けようとしたとは特に思わないんだよなあ、なんとなく。いずれにしても50代でガンでなくなるなんて珍しくもなんともないんだよ。そして、死者に対して悔やんでしまう事は死者に対する侮辱だ、と何かの本かマンガで読んだな。悔やむくらいなら生前にきちんと接しておくべきだったんだ、と。あれだ、「ダンス・ダンス・ダンス」だ。片腕の詩人、ディックノース。

ばあちゃんがガンで余命一ヶ月を宣告されて、とてもそれは悲しかったけれど、病院の外出許可をもらって母ちゃんと一緒に三人で桜を見に行った。半分泣きながら、涙を見せない様にハンドル握って呑気に「来年も見にこようねー」なんて言ってたけど、なんだかそういう事を鮮明に覚えているから、ばあちゃんが死んだ事よりも共有できる強い思い出があるから、だからなんかそんなに悲しくないなーと思ったりしてたよ。書きながら思い出して泣きそうになるけれど。
仕事でも、家族との時間でも、結局与えられた一瞬を全力で生きてやるしかないんだなあ。死んだら死んでいるだけさ、ってヒロトが歌ってたな。なぜならば俺は生きてるからさ。
iPhoneで下書きして、MacBook Airで校正してアップして、そのまま仕事したりなんかするんだぜ。なんかそんな感じだよ。そっちはどうだい、うまくやってるかい?こっちはこうさ、どうにもならんよ。なんてね。


▼そういえばウェディングケーキは友達が気を遣ってリンゴで作ってくれるくらいだったよ。
カメラマンのりをの24時間

ありがとうジョブズ。僕は生きるよ。愛するものの為にも全力で生きる。人と場所や時間や感情や体験を共有して、自分の足跡や傷跡を残しながら行きて行く。時に誰かを傷つけたりしてでも生きる証をどこかに残して行くのだ。子供が二人いるからそれでいいのかとかも思うけど。ありがとう、ジョブズ