娘4歳、父ちゃんも4歳、禁煙4年。

早いものでもう4年だ。ちょうど生まれる直前に泥船から逃げるように転職したのももう4年。あの頃はいろいろあったなあ。今思っても2007年は人生のひとつのクライマックスだったなあ。本当に。とにかく、娘が4歳になる。今思い出しても、出産に立ち会ったあの日のことは鮮明に思い出されるな。藤代冥砂の写真集なんか見てしまったからだ。

19日の4時に破水して、病院までタクシー乗りつけてそれから19時間。日付が変わってすぐくらいに娘は産声をあげたのだ。懐胎して共に過ごしてきた母とはまた違った実感で「やっと会えた」と涙で娘を出迎えた。感動とか興奮とかそんなことじゃ無くて、なんていうんだろうね、言葉が見つからないけれど、でもあんなにすごい事は前にも後にもなかったなあ。
うまれた日、F3


過ぎた時間、戻らない時間、後悔がないと言えば嘘になるだろうし、もっと一緒に遊んでればとか写真残しておけばなあとか思うけど、でもまあ4年経って生意気言ったり気の利いた事言ったりしながらもちゃんと生きていてくれる事とか、朝起きたらちゃんとそこにいたり、起こしにかかったりiPhoneで勝手にゲームしたり弟をいじめてたり(違うか、可愛がってるのか)、笑ったり泣いたり意地張ったり駄々こねたり、全身全霊でまっすぐ生きてる無邪気な命の塊を眺めていられるというのは、何と言うか本当に幸せだ。

子供が出来てから、出かけられる事も減ったし行動範囲も全然違うものになったし、友達とも疎遠になったりしたんだけれど、振り返ってみると実はそんなのたいしたことじゃないよなー、と思いますよ。家を構えて、今でもいろいろ不安になるくらいでかいリスクを抱えて生きているけど、それでもやっぱり家に帰って子供が寝てたり、留守の間に必死に片付けたのが帰ってきた翌日に元通り散らかってたり、安心してドロンと寝てるのとかを見ると、やっぱり父ちゃん頑張らなあかんなあとか思います。

父親像というものをあれこれ考えたり苦悩しながら4年間父親をやってきたけど、なんというか、うちの親父も屈強なようでいてこんな風にいろいろ苦悩したんだろうかとか、子供を叱りながらもやもやしたものを抱えたりなんかして。「怒ると叱るは違う」と今週上司が朝礼の挨拶で言ってたなあとか思い出したりしてね。結局は自分にとっての父親像って自分の父親しかいないから、それを基準にテーゼやアンチテーゼを唱えながら、ブレたり悩んだりしながらもとりあえず4年、進んできたなあ。これでも4年でかなり成長したなあと思うくらいだから、昔の自分はやばかったなあなんて思ったりしてね。周りの皆様いろいろご迷惑をおかけしました。



いかん、自分の話ばっかりだな。娘ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。4年間、怪我したり病気したり虫歯になったりしながらもちゃんと元気に生きてくれてありがとう、ありがとう。自分と同じような顔で、自分と同じ様にお調子者で、自分と同じようにお母ちゃんに怒られるとシュンとして話を逸らしてごまかそうとしたりするw お母ちゃんと同じなで肩でお母ちゃんと同じ指の形してるから、きっと同じような長女の母ちゃんとぶつかったり文句言ったりするんだろうなと思いを馳せてニヤニヤしたりしてるよ、父ちゃんは。ああ、何かいろんな事思い出すなあ。小さい頃の写真眺めてニヤニヤしたりね。

たくさんのものを父ちゃんにくれてありがとう。誕生日、おめでとう。


先日奥様にプレゼントした「もう、家に帰ろう2」をみてグッときたこれ。子供のいる生活ってこんな感じだな。ありがとう、ありがとう。

ここ、グっときた
▲パスポートやチケットの要る旅は終わった。「ここではない何処か」から「今、ここにあるもの」へと。


朝起きたら、寝汗で酸っぱいにおい満載の娘をハグしてたっぷり祝ってあげよう。