いのちについて書いておこうと思う

大きなニュースが続いた週末。忘れないように書いておこうと思う。いのちについて思ういくつかの事。

ノルウェーのテロの事と死刑の事

オスロで爆弾テロがあってその後小さな島で銃撃テロ。逃げ場もないようなところで警官の姿に安心して出たら打たれてしまうという出来事があって、映画で見た事あるようなはなしだな、と。映画と違う事はさっさと次のシーンに移らない事。そりゃそうだ。

結果としてノルウェーでは最長の21年の投獄になるのかという事だけど、死刑を求める声もたくさん上がっている。早々に死刑廃止した人権大国のはずだけれども、やはり自分の身に降りかかってくるとそうも言ってられないんだと思う。人間だもの。多分誰だってそうなんだと思う。僕だって自分の大切な家族に手をかけられたら、はたして光市の母子殺人事件のように、表向きの冷静さを保っていられる自信なんて全然ない。

意図や目的やそういうものもあるだろうけれど、人を殺めるという事は本当に危険な事だな、と。ネガティブな連鎖しかもたらさないものね。戦争にはちょっと反対さ。でも、大切な人を守らなけりゃならない時もくるのかもしれない。平和に解決すればそれがいいけれど。さて、加害者の立場に立って死刑廃止の声をあげている人達は、死刑のない国で死刑を求める声が挙げられるこの顛末をどんなふうに見てるんだろうか。

それで何かが解決するとも思わないけど、少なくとも関係者の心にわずかばかりでも安息が訪れるならそれもいいのかなあ、なんて。どうせそこから先は地獄みたいなものなんだろうからと。

中国での新幹線事故と車両の処分の事

確かな事と推測とが混じってしまうのでなるべくシンプルに書こうと思うけど、中国が「独自技術」で開発した新幹線が大きな事故。架線に落雷して電車が止まったり止まらなかったり、ぶつかった電車が落ちて壊れて検証もせずに埋めてしまったという。証拠隠滅?生存者の確認は?むむ。

人が中に残っていたかどうかは明確にわからないのでいいとしても、日本の新幹線ではそうはならない。ゼロという事ではないにしても、日本の新幹線がすごいのは車両技術もさることながら、あれが10分間隔でどんどん走ってる事、なんだと思う。しかも全然ダイヤ狂わないしね。

例えば乗り物や水、食べ物や身につけるものまで、たくさんの人が関わっていて、そこで想像もできないようなところまで気を遣われて安全性みたいなものが担保されている。よくは知らないけど、でもやっぱり大きなところでは日本での生活というシステムは安心して信頼してるところがある。が、それでも「安いから」という理由で中国新幹線が北陸で導入されそうだとか、1番じゃなきゃダメなんですかとか、首相が2人続けて拉致実行犯のいる政治団体献金してるとか、根元がグラグラと揺らいでしまってる。

なくしたり危険にさらされて改めて感じる安全に生きているという実感。どうか生き埋めになってしまった人がいませんように。

子供たちの子供たちの子供たちに

最近、子供が生まれたという知らせを良く聞く。自分のや、姪っ子や、親友の子供。新しい命が生まれてくるって素敵な事だな。小さくてがやがやしてて、せせこましい世界に仲間が生まれてくるのだ。諸手を挙げて歓迎したいなあ。昔は、こんなに不安定で汚くて悲しい世の中に、わざわざ新しい命をもたらす事は罪なんじゃなかろうかと思ってた事もあったし(中二病かと)、今はその渦中にいるわけだけど、でもまあ、子供たちに、子供たちの子供たちに、少しでも楽しく毎日生きてもらえたらいいなと思うから、何か自分たちにできる何かを少しずつやって行きたいなと思ったりもして。

世界は今日も悲しいニュースでいっぱいだけど、それでも少しでも楽しい世界を子供達に渡してあげられるように。生きている事が楽しいと思ってもらえるように。