生活と芸術と創作と掃除

掃除のことをあれこれ書いてたら、年末というタイミングでさとなお氏のブログにも掃除のことが書いてて、その中で取り上げられてたので引用。掃除と料理、

「ご飯を作り、お掃除をする」というこの二つの類的営みを愉悦的経験として奪還するという点に、おそらく村上春樹の文学の世界性の秘密は存する。
世界中に、国境を越え、人種を越え、宗教を越えて、どこにでも「ご飯を作る人、お掃除をする人」はいるからである。

まあ、実際新居での生活は食事と掃除ですよ。

が、掃除したり部屋に秩序をもたらそうとしたり、居心地よくしようとかなんかそんなことを考えてもこれはもうどうもならん。

掃除については、これまでブログに何度も書いたが、これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。
この戦いの帰趨は始めから決まっている。

我が家には帝国軍に娘が加担している。無邪気で、爆発的で創造的で圧倒的なのである。汚そうとか散らかそうとか思ってるのではなくて、彼女なりに何かを表現したりきれいなものを作ろうとしたりお父ちゃんに自慢したかったりしてるのだ。今のところ破壊の憂き目には遭っていないけれど、今日はバスローブのベルトが食器棚の取手に巻き付けてあった。外したら今度は岡本太郎の椅子みたいに椅子のフレームに巻き付けられた。最高にクリエイティブだ。


世代間抗争であり、僕はそんな風にして「口うるさい父親」のポジションに押し出されてしまった。「まだ準備できてないのに、後ろから押し出された気分」だ。やれやれ。エンドレスだな。でも帝国軍にこの秩序を明け渡す訳には行かないのだ。やるしかないわなあ。むむ、、、