きみが思い描いた未来を、僕は生きているだろうか

ラリーパパの東京ワンマン、チケット売り切れたらしい。twitterでフォローしてる人で、絶対好きだと思う人に勧めてみたら、完売メールが届いてキャンセル待ちになったという。まあ、そうなるかなぁ。もちろんチケット取れた人もいるので楽しんで来てもらいたいなあ。

レインボーヒル以来、やたらとラリーパパ聴いてる。やっぱり「風の丘/ 黒猫よ待て」、の「両A面シングル」(なんて色気のない名前だろうか) が秀逸過ぎて、どっちもライブで聴けなかったのが本当に心残りだ。シャングリラ行きたいけど多分無理だろうな。

と、ラリパの話はとりあえずそんなもので、何となく引っかかるのだけど「きみが思い描いた未来」を僕が生きる、ということの意味を何となくぼんやり考える。スガシカオとは全然違う。なんだろうか。

もう水曜日なんだけど、ずっと日曜のライブの事を思い起こしてる。友達にかっこイイからぜひと勧めてみるけど、何だか私情や記憶を挟み過ぎている音楽はもはや音楽ではなくなってしまうのかな。バルサみたいな言い方するなら"Mas que un musica"とか言うんだろうか。すごい事だな。


あの頃の未来に僕が立っているかとか、その道すがらにいるのかと言うのは、まあ、なんとかなる問題だな。でもあれだ、きみが思い描いた未来を僕が生きているかと問われると、あまりにも物語が大きくなり過ぎてかなりびびってしまう。もう33だ。きみ、が奥様だけならまだなんとかなる。でもあれだ、死んだばあちゃんとかになると、どうだろう。なに書いてるんだろう、もうよく分からんな。

音楽って素敵やなあ。結婚式の時、パーティーでバンドやってる友人4組に演奏してもらった。会場は場所占めるし遠方から人呼んで立食とか大変だったろうし、スケジュールは入場してライブやって終わり、みたいなのだったけど、でもあれだ、5年経って今も好きな音楽に囲まれて生きている。ライブに行く事やCD買う事はかなり少なくなったけど、それでもやっぱり好きな音楽は生活の一部だな。息を吸ったりご飯食べるのと同じ。ますます何かいてるが分からなくなって来たな。

昨日の日記といい、なんかセンチメンタルな感じになってるよね。実際はヘロヘロに疲れてるわけだけどさ。


今は遠くに行ってしまった友達や、長らくあっていない大切な人たち、Twitter?何それ?的な感じで連絡も近況も分からないような人たちも。みんな元気にやってますか?昔ライブに行った事や夜中の公園で噴水に飛び込んだ事や、その頃の自分たちの事やその頃に考えていた事や、そんな事を日曜からずっと考えているのです。ラリーパパがトリガーひいて、それが永久機関みたいに無限ループになっているとでもいうのかな。S2機関を取り込んだとか、そんなような。


もちろん802でT-BOLANが流れたり槇原敬之のデビュー20年とかのCMが流れると中二病真っ盛りの頃を思い出すし、初期のミスチルは淡い恋の話を思い出す。ただ、5年前ってのがあまりにも近くて手触りのある過去だから余計に染み込んでくるんだなあ。

結論はいつも通りないけれど。何となく思った事をそのまんま。ハローハロー、みんな元気ですか?