父親としての3年をさらっと振り返って見る

さて、娘の誕生日が過ぎて改めて、自分が父親になって3年過ぎたんだなあなんて事を思い起こしてみる。2人目が生まれて、「子供たちが」というフレーズが口をつくようになって、ますますなんかそんな事を考えるのです。四人もの人間の人生が、この双肩に乗ってるんだなあとしんみり考える。いやあ、既にだいぶと重たい。

息子が生まれて、今までよりも家族とか生活とかそういう言葉が何倍かの重みを持ってリアルさを増してるのだけど、いや、娘が生まれた時の緊張感ったらなかった。昔恋人と別れて何となく吸い出してだらだら5年くらい吸ってたタバコも、娘が生まれた後の一服を最後にもうちょうど3年吸ってない。決意って怖いね。

30歳の誕生日数日後に生まれた娘は、なんだかぴったり僕の人生の区切りのところにマイルストーンの如くやってきて、それからの3年は僕の人生のなかで1番密度が濃かったなあと思います。

生まれる二ヶ月前に転職して、前職とは全然違う動きを求められ、仕事と生活が一緒にずしんと乗っかって来てはいたのだけれど、ま、子供がいなけりゃまだ何処かで甘いところはあっただろうなと思います。もちろん、十分すぎるくらい甘かったり、しょうもないミスでかなりへこんで追い込まれたりもしたけれど、それでもまあやってこれたのは娘がいたからだなと思うのです。

奥様はというと、もちろん1番近くで僕の事を支えてくれているのだけど、実際のところ2人だけなら何も失うものもなくて、2人で頑張ればある程度の事はなんとかなるし、仕事やめても食っていくくらいの事はできるだろうと思っていた。今でもそう思う。2人で働けばコンビニ店員でも何でも将来の展望は別にして食べていけると思っている。でも娘は違う。悲観すべきような事は何も持ち合わせてないし、辛い事や悲しい事はいくつもあるだろうけれど、父ちゃんと母ちゃんの顔を見て嬉しそうに笑って毎日生きている。そんな娘のために、僕は文句いいつつも必死こいて生きていかなきゃならないんだ。なんて素晴らしい事だろうか。

僕が娘の事を大切に思っているのは、そんな風に僕に生きる意味を与えてくれるからだ。奥様は、僕自身だ。それ以上もそれ以下も表現のしようがないからもう言わないけど。


自分の両親が僕にしてくれた事や、僕が今までした事なんかを娘を通して擬似的に体験したり感じたりするのだ。石の上にも三年。上に乗っかるほど安定してた事はないし、これからもかじりついたりよじ登ったりしながら生きて行くんだろうな。大学生なんかと恋愛について熱く語ったりしたいくらいだぜ。誰かを愛したその時から、家族の意味さえ変わってしまう、と槇原君も歌っていたけどさ。

子供が2人できて、次は家なんか買おうとしてる。冷静に考えればもう人生詰んだようなもんだと思う。選択肢なんていくつかしか残らない。でも全然悲観的じゃないのはやっぱり家族がいるからなんだなあ。自分が選んで手に入れたものだから、なんというか、腹をくくるくらいしかやる事は残っていない。

むむー、世のお父ちゃんがそんな風にみんな思ってるかわからんけれど、お父ちゃん達は頑張って働いてるんだ。キャバクラや風俗に入れ込む人もいるし、電車の中で化粧してる若い女のコをじろじろ眺めたりもするようになるよ。飲んで愚痴ったりクーラー付けっぱなしで寝たり新しいガジェットにドキドキしたりもするけれど、でもまあ、父親って面白い。父親の育児参加とかファザーリングなんとかとか、ワークライフバランスとかそんな絵に描いたような事がテレビや新聞で知ったような事を書いているけれど、いや、なんだ、もっと泥臭いもんですね。でも、悪くない。

自分や周りを見ていても、子供が大きくなったらお父ちゃんは二の次だ。決定権はあってもやっぱり実務担当はお母ちゃんだ。働き出したらそれがどんな風にかわるのかわからないけど、でもまあそれでいいかなと思いますよ。

取り合えず今日はたくさんビールを飲もう。世の中のすべてのお父ちゃんと僕のお父ちゃんに乾杯!そして明日は家で仕事します。まあなんというか、そんな感じです。ははは。