地獄の一週間、そして週末、じいさんの13回忌

週末は、本当にいい天気でした。この平日は本当にキツくて、月曜火曜は終電で帰ってそれから書類作成してだいたい4時頃睡眠。水曜から金曜はいろいろ仕事が立て込んで毎晩2時過ぎか3時くらいに終わってタクシーで帰宅。結局毎日3時間ずつくらいの睡眠で、大型の案件を4つくらい納品して、集中力は続くわけも無いけどそんなのんきな状況でもないのでかなり気を張りながら過ごした。そしてくたくた。

週末は法事と花見の予定が入っていたのでなんとか休みは確保したかったし、そのまえの週末は二日ともがっつり出勤してたので、もういい加減体力ももたなくなってた、ので、まあなんとか大きな山は越えれたかなあ、と。

金曜は夜中までやって4時に帰宅したので、昼からの法事に備えるべくけっこうゆっくり寝て、それから電車で難波へ。父親の好意で遠方からくる親戚と一緒に難波で宿を取ってもらったのでチェックインして荷物を預け一心寺へ。桜の季節、人も多い。

桜の頃になると、思い出すのはじいちゃんよりばあちゃんのことだ。ガンを患ってもう余命幾ばくも無かった数年前の桜の季節。最後に桜を見せてやろうと母親と二人でばあちゃんを車に乗せて、河内長野をざっとドライブ。「ああ、きれいやなあ」なんて後部座席でばあちゃんが言って僕はハンドルを握っていたのだけど、あんなに悲しい桜は無かった。土曜の昼前に娘とビデオを返しに車を走らせてたら娘が後部座席で「お父ちゃん、ピンクのお花きれいだね」なんて言って、その頃のことが急によみがえってきて運転しながら少し泣きました。

大切な人を失うことはとても悲しいことだけど、でもそうして記憶の中にいつも残っているんだなあとか、残って行く記憶は都合のいいように変換されてきれいになって行くからそれはそれでいいんだろうけど、でもまあ、天気の良い春の日に嬉しいばかりじゃないんだよなあということをふと思い出しましたよ。

仏壇に線香を上げて、一心寺でお参りをして、なんだかその辺で気分的にはずいぶんすっきりしました。そういうのってやっぱり大切だな。

法事にきてたいとこは僕の一つ上。子供はすでに小学3年生で大きくなっているのだけど、4年前に遊びに行ったときはほとんど話もしてなかったのでちゃんと会うのは5年振り。そりゃ大きくなってるよなあ。サッカー漬けの男の子がもう娘にめろめろで、娘も珍しく人見知りせずにいきなり手をつないだり一緒に走り回ったりしてる。何だろうな、この辺の差は。友達の子供のちょっと距離感ある感じではなくて、完全にお兄ちゃんだから気が楽なんだろうか。会話も成り立ってるしお兄ちゃんも優しいのでなんだか端から見ててもすごく楽しそうだ。娘よ、おおきくなったなあ、なんてね。


故人を偲ぶ、というのがそもそもの法事の目的なんだろうけど、それよりもそこを目当てに普段会わない親戚があつまってああでも無いこうでもないと話したり顔を会わしたりすることが大事なんだなあと思います。うちは父方の親戚は広島、母方は東京で、奥様の親戚は静岡だから、そういう機会でもないと集まらないし、だからこそ誰かに会うのが楽しみでもあるしね。


父親が取ってくれてた宿で、親戚の子を風呂に入れたり、朝から朝食を買いに一緒に出かけたりとか、たまにしか会わないからなんか「大阪に来たこと」を良い思い出にしてもらえたらいいなあとか思います。なんとなくね。

おちはないけど、まあ、そんなような週末でした。