「フリーダム過ぎる命名時代」とはよく言ったもので

昨日に続いて名前の話。
フリーダム過ぎる命名時代に我々はいかに呼ぶべきか フリーダム過ぎる命名時代に我々はいかに呼ぶべきか フリーダム過ぎる命名時代に我々はいかに呼ぶべきか

実際にいろいろだなあ、というのはまあ良いとして、じゃあどうやって呼べばいいのかというのはまた別の問題。例えば公園であったり知り合いだったりすると文字より読み方が先に来るから特に問題はないだろうけど。

ただ、将来大翔君が社会に出てきたとき、我々は彼をどう呼ぶべきだろうか?
「普通に『ヒロト』くんでいいじゃん」
とおっしゃられるかもしれない。しかし、大翔君はヒロトくんだけではないのだ。大翔(ハルト)、大翔(ヤマト)、大翔(ダイキ)、大翔(タイキ)、大翔(タイガ)、大翔(ダイショウ)、大翔(ダイト)くんといったさまざまな大翔くんが存在する。
ハルト、というのなら悠斗くんのなかにも悠斗(ハルト)くんはいるし、悠人(ハルト)や悠翔(ハルト)くんも存在する。

と、ネタっぽい感じで書かれているけど、これはなかなか見事な案を提示されてますよ。分かりやすいし、失礼でもないし。