大阪府の学力テスト結果

連投してるのは、書きだめていたものをまとめて出しているだけです。はい。

昨年も話題になっていた学力テスト。先日の朝日新聞にふんわりとした結果が載っていた。市町村名は伏せて、点数の分布をざっくりと。
大阪府学力テスト調査結果(朝日新聞の場合)

好成績を収めた豊能町は夏休みに学校で、宿題を教師や地域の人と一緒にする活動を続けている。地域のお年寄りや保護者らが授業を見学することも。担当者は「地域住民に積極的に関与してもらうことで大人の目が行き届き、子どもの生活習慣が崩れず、学力向上にいい影響が出ている」と説明する。

成績の良かったところは取り上げられる。なるほど、原因は明確。努力している自治体は結実している。中には落ちこぼれもいるだろうけど、それでも平均点が高いというのは一つの傾向。

教育というものにどの位自治体の裁量があるのかわからないけど、学力テストってのは全体的な傾向を出してるものだと思うし、頭がいいとか悪いとかよりもその傾向みたいのが大事だなと思う。個人的な点数は資質や家庭環境や、色んな要因があるだろうけど、自治体レベルになるとそれは傾向みたいなもんだろうし。

平均点で大きく差があったのも事実で、そうなると学校の傾向や住民の傾向や、そういうのが見えて来るんだろうなと思う。もちろん、教師の傾向や教育委員会やそういうのもあるんだろうな。

「他市町村との比較が学力向上につながるとは思えない」(熊取町)、「市町村間の序列化が進みかねない」(吹田市)と憤る。

学力向上につながるかどうかも大事なんだけど、序列化や競争をあおるのが良くない、という論調は好きじゃない。だって、学校を出たら明確に序列化と競争があって、それが資本主義という世界で、その競争を無駄に煽るのは良くないけど、耐性をつけると言うか生きて行く力を実につける必要はあると思うんです。

結局、こういう風に教育(またはサービス)のレベルの高いところや、傾向として低いところというのがあって、僕はこれから自分がどこに住もうかと考えているけど、教育の環境てのは私立にいかない限り直接買える訳じゃないけど、選択する事はできそうだと思う。それだけで選ぶ訳じゃないけど、教育に力を入れて、平均として得点の高いところに住むというのは、結果として良質なサービスを享受できるという事だからなあ。

だから、市町村の序列化はむしろ進むべきで、僕みたいに土地にとりたてて愛着のない人間は、税金の対価としてより良いサービスを求めています。なんか変な文章だな。でもまあ、「ああ、ここの地域は去年も点数低かったな。住むのはやめておこう」てのは、序列化でも何でも別に良いけど、けっこう普通の判断なんじゃないかと思ったり。公共のサービスだって、競争とかそういうの必要でしょ。多分。

ということで、昨年も掲載してた読売新聞を購入して、ちょっと眺めてみたりしてみました。新聞社も色々だなあ。
大阪府学力テスト調査結果(読売新聞の場合)