いつか忘れてしまう事

今日も娘は朝からご機嫌で、わけのわからない言葉を連呼して叫びながらベッドの合間を歩き回って、僕と奥様に笑顔を振りまいてくれる。
それは子供ができてから手にした最高に幸せな時間であり、父親っていいもんだよなあ、なんてしんみりしたりもする時間でもあるんだけど。今の娘にはそれが全てで、毎日楽しく過ごしているんだろうけど、今の僕が1歳5ヶ月の記憶を全く持っていないように、多分きっと娘はそんな事をいつか忘れてしまう。

公園で笑いながら走り回ったり、モールで大泣きして困らせたり、ペットボトル抱えておしっこ溜め込んだオムツで僕の顔の上に座ったり。娘だけに限らず、僕だってそれをどこまで覚えてられるかなんて実は自信がない。先週着てた服のことも覚えてないし、学生時代に遊んでた時のことも、写真とか撮ってないやつはけっこう忘れてしまってる。

そんなことを思うととても寂しい気持ちになる。誰かがブログで同じようなことを書いていて、「でも、お母さんは全部覚えているからね」と締めくくっていたのだけど、僕は全然そんな自信がない。多分半分は忘れる。いや、それどころじゃないな。
自信がないからこそブログを書くし、写真を撮っている。奥様とデートした時とかでも、奥様が何を着てたかは写真を撮ってて鮮明に覚えているけど、その時僕が何を着てたかは全く覚えていない。自分の写真はほとんどないから。些細なことではなくて覚えておきたいと思うことでも、そんな風にいつか忘れてしまう。だからやっぱり、ブログとかtwitterとかにいろんなことを書き留めるんだな。そんなところに書けないこと、別のノートにでも書こうかなと思ったりもします。ブログはあくまでパブリックなものだからなあ。

枕元にカメラを置いといて、朝から逃さずに写真や動画をシューティング出来るのがベストかどうかわからないけど、過ぎゆく瞬間をなるべくたくさん残しておきたいなと思うのです。写真や、動画や、文字や、記憶に。後からみるかどうかはわからないけど、やっぱり残しておかなきゃ始まらないもんなあなんて思うのは、先日見たハンディカムのサイトのせいかなあ。

万面の笑みを浮かべてこっちを見てる表情は、何というか大切な宝物です。将来どんな生意気な事行っても、この思い出はずっと僕のものだなあ。ま、母親とはまた違った関係を築いたりしてお父さんは仲間はずれ食らうんだろうけどね。

何となくそんなことを思ったりしました。