災害のニュースと「自分ごと」

三重や和歌山の水害に続いて、淡路島や名古屋で川が溢れそうになってる画像を見かけた。なんなんだ、今年は。どうか1人でも多くの人が無事でありますように。ちょっと様子をみて来る、みたいなフラグ立てずに無事に嵐が通り過ぎますように。明日はこっちにやって来るかもしれない台風も、何事もなく終わりますように。

淡路島は週末の旅行で通り抜けたところだし、鳴門大橋通行止めとか西宮のへんでも通行止めになったとか、タイミング良く2日ずれて天気も良く気持ち良く旅行できたけど、これは一歩違ってたらえらいことになってたものなあと。少し反省。自分たちとしては結果オーライだけどさ。

行き先を考えるのに和歌山と三重はさすがに除外したし、台風も来てるなあとか考えて極力安全そうなところをと考えていたけれど、ま、本当に気ままに走ってたからそれはそれで危なかったなあと。

不謹慎だけど、そんな風に自分ごととして捉えてやっと身の回りに起こることは現実味を帯びてくるし、その辺は知識や想像力もあるのだけど、まあ企画書いてる時にいうように、「自分ごと」てのは確かに大事やなあと。共感すること、共有すること。つい数日まえに通り過ぎた淡路島の地名がニュースで流れる。まとめサイトに上がってる写真は島出身の友人の地元の友達だという。たまたまTwitterに上げてたのが拾われてたらしい。すげえなあ。


大阪にいて普通に仕事してると東日本大震災の事は否応なしに遠い土地の出来事なんだけど、野菜が出回って来るとか税金が上がるとかそういう具体的事象があってやっと自分ごととして理解できるのは悲しいけれど仕方ない事だなと。もちろん、全くよその事とは思ってないけど、それもあの時の振動が大阪まで来てなかったらやっぱり今とは少し違った事を感じてただろうなとおもう。

まずはいろいろ知るということだなあ。それを体に染み込ませられるかどうかというのは何かと違って来るんだろうな、なんて考えたりしてね。