終戦記念日に思う

いつも思うのだけど8月15日というのは終戦記念日(記念かどうかはさておき)でお盆で、そしてキリスト教では聖母の被昇天の祭日。何かと忙しい感じだ。ちなみに調べてみたらジオン公国建国記念日も今日らしい。ジークジオン。


いや、それはまあよしとして当然のようにテレビや新聞では平和や反戦に対する特集が組まれて紙面をにぎわす。戦争を風化させないことは大切なことで、うちの両親は戦後に生まれたので直接的な体験はないわけだけど、まあ、じいちゃんやばあちゃんに聞いた話や、いろんなところで語り継がれている内容を思い起こして、二度と戦争はしちゃいかんよなあ、なんてやっぱり思うわけです。


ここ1,2年程いろいろネットで情報収集をするようになって、戦争や歴史について知らなかったこと、知らされてこなかったことをいろいろ知るようになり、とりあえず反戦とか平和とか言えば良いってもんでもないこともわかってきた。
「戦争反対」はとても難しいけど、簡単なことだ。良くない例えだけど、「日本人全員が1円ずつ僕にくれたら1億円集まるのにな」と同じかんじかなあ。理想というか、机上の空論と言うか。まあそんなような気がします。


左寄りな教育や朝日新聞のおかげで「戦争はだめ!」「武器を捨てて花を!」みたいな感じに育ってきましたが、いや、子供を持つと必ずしもそんなことばかりは言ってられないなぁ、と思うのです。確かに「自分が生んだ子供に戦場に行ってほしくない」というのは僕もすごく同意できるのです。戦場でじゃなくても、決して人を殺めるような人にはなってほしくない。
でもその手の意見には、いつももう一つの視点が抜けている気がします。つまり「自分が戦場に行くかもしれない」という父親の視点。


結論からいうなら、仮に日本が戦争に巻き込まれ出征しないといけないとなったなら、それがどれだけ矛盾に溢れ、後世から指を指されて笑われたり非難されるような戦争であっても、自分の命を賭して、その結果として愛する嫁と娘をすくうことが出来るなら、僕はそれでもかまわないと思うのです。そんな目に見えるような功績を残すには体力もないし腹も出てきたけどね。でも、たとえ一日でも、自分の家族が長生きしてくれるのならそれで良いような気がします。


タイタニックで沈みかけた船で、女子供を先にボートに乗せたのと同じことかな、と。もちろん戦争を始めないことは大前提で、武力による解決が何もポジティブなものを残さないことは歴史を振り返るまでもなく明白ですけどね。
でもまあ、お隣の国々はあんなだし、ロシアとグルジアの紛争も、遠いところで起こっているようだけど実際のところロシアは隣国で、しかも日本はロシアと領土問題を抱えた状態な訳で、今ロシアと中国を敵に回したら怖いよなあ、なんておもうけど、オリンピックのバレーボールを見てても中国国民の日本に対してのブーイングは、スポーツの対戦国に対してのそれとはとても同じ種類のものとは思えない。4年前の重慶のこともあるしね。

そんな状態で何も対策せずに「無防備都市宣言」とかやってるのって、本当に怖いなと思う。ロシアなら最初にそれで札幌を占領して、そこから本島を攻めてくるはずだ。無防備は決して美徳でもなんでもない。少なくとも中国とロシアが隣国なんてハズレくじを引かされた日本にとっては。


まあ、そんな感じです。
僕自身は好戦的な人間でも血の気が多いわけではなく、もうひたすらにこの平穏で平和な毎日が、いつまでも続けば良いととても真剣に願っています。ただ、この時期に繰り返される反戦ニュースや戦争もののドラマをみると、その裏の主張みたいなものがすごく気持ち悪くて不自然なように思います。靖国参拝も、政治問題になること自体がおかしいような気もしますね。


てことで、明日は嫁と娘が帰ってきます。
僕の平穏な日常がついに戻ってくるわけです。
平穏で平凡な毎日が永遠に続くことを、僕は心から願っております。