子供に勉強を教えてはいけない

今朝読み終えた「レバレッジ勉強法」に書いてあったことは、まあいうなればけっこうありがちな一般論というか、まあ、そういうことになるよな、という成功の哲学的なことだった。いや、悪くいうつもりではなくて、成功者の意見ってのは正論を正論としてひたすらに述べることだなといつも思うのです。「朝は早く起きろ」とか「将来の目標から逆算して計画を立てろ」とかね。当たり前のことをきちんと確実に反復すること。きっとそういうことだ。


で、気になったフレーズを一つ。

「子供に勉強を教えてはいけない」というもの。
むむ、どういうことだ、それ。

結論から言うなら、子供に教えるべきは「勉強法」であって「勉強」ではない、ということ。結局は勉強も仕事も、もっというなら恋愛も人生も、表層の部分で何がどうなったかということよりは、なぜそれがそうなったか、とか、いかにしてそれをなし得たか、ということの方が大切で、つまりは「結果か過程か」みたいな二元論ではなくて「最良の結果を導きだす為の最良の過程」というのが必要なんだと思うわけです。多分。
なので、学校の勉強その物を必死にさせることよりも、なぜ勉強が必要か、それ自身にどんな意味があるのか、ということを身につける(身につけさせる)必要があると思うのです。僕自身はけっこう勉強好きな方でしたが、今となっては勉強は(クラブ活動とかも含めて)精神鍛錬の場所だと思うし、継続的に、計画的に、段階的に何かを身につけて行く為の場所なんだ、と思うのです。そういうことを娘には伝えたいなと思うし、もちろんそれを理解して学ぶような中学生はいやだけど、後になってわかってくれたらいいなと思います。


あとは、躾に付いても同じことかなと思います。
月齢が同じくらいの子供がいる友人と離していて、「躾はいつから始めるべきか」という話になったのだけど、今の段階では躾なんてとてもとても、と思うけど、親の言動に一貫性を持たせるとか、そういうばらつき見たいのはなくした方が言いだろうなと思うのです。
またレビュー書きますが、一緒に借りた明橋大二のハッピーアドバイスという本に書いてあったのは

  • 0〜3歳:自己評価をさせる
  • 4-6歳:しつけ
  • 7歳〜:勉強

でいいのだ、ということでした。
それぞれがその土台になるので、まずは自己評価、「自分は存在してもいいんだ」とか「親は自分がいてくれて嬉しいんだ」という感情の基礎みたいのを築くのが一番最初だというのです。で、その後に躾けや善悪の判断みたいなものが出てきて、それができて初めて学ぶということが出来る、と。なるほど、実際どんなもんかは別にしてすごく納得がいく感じです。
三つ子の魂百まで、てのは、心の真ん中の自我を育てるのが3歳まで、とは良くいうけれど、そこで自己否定みたいのが入ってしまうと、やっぱり何かと大変だったりするんだろうな。どうせ子供に何を言ってもわかるわけないんだし、僕だって高校生くらいまで親のいうことなんてちゃんと聞いてなかったしなあとおもうと、なぜダメなのかをちゃんと説明してわかるようになるまで、躾なんていらないかなあと思っております。


それも結局、表層のマナーを教えるのではなくて善悪の判断基準みたいなものをおしえないとなあと思っているわけです。親と子は別の人間とはいえ、子供を人間に仕立て上げるのは親の仕事ですからね。


とまあ、そんなようなことを言ってみても家に帰ってくれば娘は既に寝てて、躾も何もあったもんじゃないんですけれどね。現実はそんなものです。今日も持ち帰りで仕事。今から1時間程で済んだらいいなと思うけれど。がんばります。